高橋良明君
高橋良明君
こんにちは。Kumakoです。
4月3日に田村正和さんがお亡くなりにりました。
とても驚きました。そして、とても寂しかったです。
私は、高橋良明君という俳優の大ファンです。
良明君のファンになるきっかけとなった番組は『うちの子にかぎってスペシャル2』でした。
『うちの子にかぎって』は、小学校を舞台にした学園ドラマで、田村正和さんは5年3組の担任の石橋先生役をされていました。
良明君は羽田功という生徒役で出演していました。
高橋良明君。
かっこよくて、演技も上手く(歌は、それほど上手くありませんが (;^_^ )本当に大好きです。
プロフィール
誕生日 1972年(昭和47年)9月2日生まれ
出身 東京都(小学校3年の時、横浜へ転居)
血液型 O型
所属 東京放映
ドラマ
昭和59年 東京放映のオーディションに合格。
同年、テレビ小説「夢かける女」で子役デビュー。
「うちの子にかぎって」
「アルザスの青い空」
「痛快!ロックンロール通り」
「避暑地の猫」
「オヨビでない奴」
「春日局」 等
多くのドラマに出演しています。
CD
シングル
「天使の反乱」
「恋の3-2-1」
「ヴィーナスの失敗」
「悲しきバットボーイ」
「抱きしめて…サンライズ」
追悼シングル
「夢であえるさ」( 抱きしめて!サンライズ)のc/w)
アルバム
「もちょっとでヒーロー」
「夏物語へようこそ」
「Stay With Me」
「夢であえるさ」
「高橋良明 FOREVER」
「高橋良明パーフェクトベスト」
良明君の出演するテレビやラジオはこまめにチェックしていました。
雑誌もスクラップしてあります。
もちろん、ファンクラブにも入会していました。
友人も良明君のファンでしたので、学校でも二人で、よく良明君の話で盛り上がっていました。
その友人と、度々、握手会やデパート屋上や遊園地でのイベントなどに参加していました。
芸能人を生で見るなんて、しかも大好きな憧れの人と握手できるなんて、夢のようでした。
良明君は、私たちファンの事をとても大切にしてくれていました。
ファンとの触れ合いも大切にしてくれました。
頻繁に握手会を行っていましたね。
コンサートの最後にも握手会をしてくれたんですよ!
良明君が亡くなって1年後にお母様が書かれた本に、自宅を訪ねてきたファンの方たちを家の中に招き入れている様子が、写真とともに載っています。
ファンの方たちに囲まれた良明君も写っています。
いくら自分の子供のファンだからといって、家の中に入れてあげるなんて、なかなかできないことと思います。
良明君も、ご家族の方も、私たちファンを信じ大切にしてくださいました。
1月5日
良明君は1989年1月5日、大型バイクで事故を起こしてしまいます。
原付の免許は持っていましたが大型の免許は持っていなかった…。
つまり無免許。
しかも、中学生の女の子をはねてしまいました。
無免許は…。
ダメです。
事故のことは、新聞にも小さく載っていました。
未成年ということもあり名前は出ていませんでしたが、ファンであれば、記事を読めばそれが良明君のことだとわかるものでした。
女の子は大腿骨骨折の重傷。
良明君は全治3ヵ月の重傷。
それでも、回復すると信じていました。
良明君が死ぬわけない。
アイドルが死ぬわけない。
そう思っていました。
1月23日 午前2時46分
学校から帰ってきて、なんとなくテレビをつけていました。
午後のワイドショーをやっていました。
その番組の終わりかけの頃だったと思います。
アナウンサーが良明君が亡くなったと伝えたのです。
画面には、オヨビでない奴のワンシーンが映し出されていました。
記憶が曖昧ですが、第3話「アンタの生徒を信じなさい」か、最終回「お前のこと好きだ!」のワンシーンだったように思います。
学校の体育館のステージでクラス発表をしているシーンだったと思います。笑顔で元気に歌って踊っている良明君の映像でした。
1989年1月23日
午前2時46分
亡くなってしまったのです。
信じられませんでした。
告別式
告別式は1月25日に新横浜の観音寺で行われました。
私は友人と二人で学校を休んで参列しました。
どうしても、行きたかったのです。
この日、学校を休んだ訳ですが、担任の先生は私たちの休みを「忌引」としてくれました。
体育教師で厳しい面もある先生でしたが、この対応には感動しました。
追悼集会
3月21日 東京 よみうりランドEAST
3月29日 大阪 御堂会館
にて、追悼集会が行われました。
私は東京の追悼集会に参加しました。
良明君の好きだった、かすみ草の花束を持って行きました。
ガッツ石松さんや山瀬まみさんの音声コメントが紹介されたり、オヨビでない奴で共演した磯崎亜紀子さん、一緒にラジオをやっていた南渕一輝さん、お父様、お母様がステージでお話を聞かせてくれました。
最後に献花をして帰りました。
この追悼集会を区切りに、イベント等は行われないとの事でした。
しかし、ファンの方が主催のバースデーイベントが毎年行われています。
まだ私は参加したことはありません。
昨年、勇気を出して参加しようと思っていましたが、コロナで中止となってしまいました。
今年は開催されるのかな?
ファンクラブ解散
ファンクラブも解散となり、会報の最終号と一緒に「応援ありがとうございました」
と書かれた良明君の写真のカードが入っていました。
“ありがとうございました”
過去形が切なかったです。
亡くなっても、良明君のファンであることは変わりません。
良明君をテレビで見たり、イベントや握手会に行ったり、あの頃、本当に楽しかったです。
楽しかった当時を思い出すと、胸がワクワクします。
私の青春です。
いつ頃だったか忘れてしまいましたが、良明君のご自宅に伺ったことがあります。
追悼集会よりは後でした。
その時の事も、近いうちに書きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。